~ 古き良き建物や風景をビジュアルで再現 ~

Retrospective

時代の変遷と共に老朽化した建築物や土木構造物は取り壊され、 新しい建物や土木構造物が建設され、 同じ場所でもその風景は一新されます。
再開発した中には、 後世に残したい文化遺産的な建物や風景もあります。
「Retrospective」 では、 古き良き建物や風景をビジュアル化するサービスです。
写真があれば懐かしい風景をパース、 動画、 VR 等で再現いたします。

東急文化会館

東京都渋谷区渋谷にあった複合商業施設。
東急百貨店が所有 ・ 運営し、 渋谷駅前 (東口) を代表する文化施設として知られていました。
1956 年 (昭和 31 年) 開業。 2003 年 (平成 15 年) 閉業。
建物は解体され、 替わって跡地には渋谷ヒカリエが 2012 年 (平成 24 年) が建設され開業しています。
建物は、 日本を代表する建築家 「坂倉準三」 が建築構造設計を行い、 舞台機構の設計については 「森平舞台機構」が行い、 施工は 「清水建設」 が行いました。
鉄骨鉄筋コンクリート造、 地下 1 階 ・ 地上 8 階 ・ 塔屋 3 階建。 4 つの映画館、 美容室、 レストラン、 書店などの店舗が入り、 特に屋上にはプラネタリウム 「天文博物館五島プラネタリウム」 が設置されたこともあり、 東京の名所として
修学旅行のコースに組み込まれるほどの人気を博しました。
当時の国鉄渋谷駅東口は、 東京都電のターミナルであったことから、 交通の混乱を避けるために、 開業と同時に歩道橋が作られ、 東急東横線の改札口から段差なしで文化会館にいくことができました。 (引用 : Wikipedia)

渋谷駅

東京都渋谷区道玄坂一丁目および同二丁目にある、 東日本旅客鉄道 (JR 東日本) ・ 京王電鉄 ・ 東急電鉄 ・ 東京地下鉄 (東京メトロ) の駅です。
日本鉄道の駅として開業した 1885 年 (明治 18 年) 当時は新宿や池袋と同様に駅周辺は田園地帯が広がる東京市郊外の田舎の駅に過ぎなかったが、 東京市電や玉川電鉄 (玉電) などの路面電車や私鉄路線が乗り入れるようになり、また東京大都市圏が拡大発展するにつれて郊外路線の沿線人口が大幅に増加し、 東京南西部のターミナル駅として成長してきました。 (引用 : Wikipedia)

球磨川第一橋梁

JR 肥薩線の鎌瀬駅を出てすぐに球磨川に架かる赤茶色の鉄道橋。
1908 年 (明治 41 年) に完成したこの橋梁は、 「トランケート式」 と呼ばれるピン接合方式のトラス橋で、 「球磨川第二橋梁 〔同県球磨村〕」 とともに全国に二つしかの残ってないと言われています。 鉄道ファンの撮影スポットにもなっています。 (引用 : まるごと八代!)
九州の鉄道網整備にはドイツのテクノロジーが採用されました。 しかし後年になって官設で整備された八代より南の路線 ではアメリカの技術が多用され、 この橋梁はクーパー、 シュナイダーが設計し、 アメリカンブリッジ社が製作しました。 (引用 : 百年レイル ・ 肥薩線の旅)
尚、 2020 年 (令和 2 年) 7 月の豪雨の影響で、 球磨川第一 ・ 第二球磨川橋梁等の多くの設備が冠水及び流失する などの被害が発生し、 八代駅 – 吉松駅間で不通となっています。 (引用 : Wikipedia)

日本万国博覧会 - 空中ビュッフェ

1970 年 (昭和 45 年) 3〜9 月、 大阪 ・ 千里丘陵にて日本万国博覧会 「EXPO ‘70」 が開催されました。
アジアでは初の開催となった 「EXPO ‘70」 には 77 カ国が参加し、 史上最大規模の博覧会となりました。
期間中の入場者数は 6421 万人余を記録、 人気パビリオンには連日長蛇の列が続きました。
万博会場内には空中ビュッフェが建設されました。 空中ビュッフェとは、 全体の高さ 31 メートル、 ゴンドラ風の 4 人乗り カプセルが 29 台ある空中観覧車で、 カプセルは自転しながら上下に昇降するというもの。 1 周回転するのは約 20 分かかり、 この間、 乗客は軽食をとりながら約 100 万坪の万博会場の展望を楽しむことができました。
(引用 : モリナガデジタルミュージアム)

余部鉄橋(あまるべてっきょう)

1909 年 (明治 42 年) 12 月 16 日に着工、 1912 年 (明治 45 年) 1 月 13 日に完成し、 同年 3 月 1 日に開通しました。
全長 310.59m (橋台面間長 309.42 m)、 下を流れる長谷川の河床からレール面までの高さ 41.45 m, 総工費 331,536 円。
11 基の橋脚、 23 連の橋桁を持つ鋼製トレッスル橋です。 23 連となるのは、 各橋脚上に 30 フィート桁、 各橋脚間に60 フィート桁がそれぞれ架設されているためです。
土木学会による技術評価では近代土木遺産の A ランク、 土木学会選奨土木遺産に指定されていました。(引用 : Wikipedia)

平成 22 年 8 月にコンクリート橋に架け替えられましたが、 餘部駅側の 3 本の橋脚は現地保存され、 平成 25 年に余部鉄橋「空の駅」 展望施設に生まれ変わりました。 また、 平成 29 年 11 月には展望施設への直通エレベーター 「余部クリスタルタワー」 も完成しました。 (引用 : HYO GO! ナビ)

余部鉄橋
余部鉄橋

志賀高原ロマン美術館

山ノ内町立志賀高原ロマン美術館は、 1998 年に開かれた長野冬季オリンピック、 パラリンピックの開催を記念して1997 年秋にオープンしました。
建築は、 日本を代表する世界的な建築家 ・ 黒川紀章氏の設計によるもので、 「自然との共生」 をテーマに周辺の環境と調和しながらも、 独自性を主張しています。
建物は、 美術館棟とレストラン棟の 2 つから成っています。
美術館棟は、 地上 2 階建てで、 高さ 15mの吹き抜けのホールを中心に、 そのまわりを 2 階展示室がぐるりと囲む、全体としては楕円形に設計されています。 外壁はコンクリートにチタンチップを埋め込んでおり、 エントランスにはガラス窓から自然光がふりそそぎ、 壁面にうつし出される光と影が刻々とその表情を変えながら季節と時間のうつろいを伝えてくれます。
レストラン棟は円錐で、 遠くからでもランドマークとなる印象的な形です。
同様の円錐は、 美術館の吹き抜けのホールの 12 体の展示ケースにも用いられています。
(引用 : 山ノ内町立志賀高原ロマン美術館)

想い出の風景をビジュアル化

歴史的な建造物以外にも、 個人的に思い入れのある建物や風景をビュアル化いたします。
こども時代に通った学校や夏休みの風景など、 写真があれば、 貴方の懐かしい風景をお好みの画風で再現いたします。